2019年6月29日土曜日

母暴行事件

奴らが僕たちの人生を変えたのは間違いありません。奴らというのは三年前に母さんを輪姦した五人です。母さんがお風呂に入ったときに奴らを家に入れたのは僕です。あの頃の僕は奴らに虐められ、精神的にもかなり追い詰められていました。それに奴らも僕と同じ高校生です。あんなことになるとは思ってませんでしたし、あんなことがなければ、母さんは離婚もしなかったし、僕たちは普通の親子だったと思います。ただ、今の僕たちの生活が不幸だと思っているわけではありません。こうしてブログをしているのも悪夢を乗り越え、絹子と二人きりの今の生活がとても幸せだからです。

五人が浴室に向かい、母さんの悲鳴がすると、僕はいてもたってもいられなくなって家を飛び出しました。日付が変わろうという頃になって、もう帰っているだろうと思い帰宅すると、父さんが出張でいないのをいいことに奴らはまだ母さんと性交を続けていました。 僕は大人の母さんが五人を拒絶して説得するだろうし、絶対にそうなってると思っていました。

 母さんは近所でも評判の美人でしたが、それまで母さんのことを女として意識したことなどありませんでした。小さいころから母さんと買い物に行くと、八百屋や肉屋のおじさんおばさんから綺麗とよく言われていて自慢の母さんでした。父さんが出張でいなかったあの日、母さんが五人に次々と犯されて、言われるがままに腰を振って、あえいでいる姿を見せつけられて、僕も男として反応していました。母さんのことを僕が女として見るようになったのはその時からでした。

2019年6月27日木曜日

美母絹子

今のマンションに引っ越してきて絹子は家庭教師をしています。女子生徒にしか教えていないし、今後もその方針のようです。四十二歳とはいえ、三十代前半でも通用しそうなほど若々しいし実際に奴らに母さんが襲われたのも三年前のことです。ずいぶん昔のことのような気がするのについ最近のことです。

よく考えると、Aたち五人が捕まったのも二年と三か月前のことです。奴らは学校で人気があったTさんとそのお母さんを輪姦して警察に捕まりました。僕の母さんで味をしめたのだと思います。無茶苦茶な奴らでした。Tさん親子が被害にあったのを知ってるのは奴ら以外では僕くらいだと思います。母さんも警察に行くのが遅くなって奴らの都合のいい女になっていた時期がありました。僕の家でするより、母さんがあいつらの家に行くことがほとんどだったようです。

母さんは凄いと思います。家にいるときはいつもの母でした。結局、父さんにもばれて離婚することになるのですが。奴らの誰かが抱いたあとの母さんを僕が求めていたこともあったと思います。割れ目が充血して火照っていて、シャワーを浴びているのに割れ目は濡れていました。乱暴に求めたことも何度もあります。あの頃は奴らに抱かれて女になっている母さんのことを想うと耐えられませんでした。

2019年6月25日火曜日

僕の実母、絹子

最近は母さんのことを絹子と呼んでいます。最初のころ照れ臭かったのは、やはり母さんだから、という認識が強かったからだと思います。今は、母さんというより僕の女です。

2LDKの賃貸マンションで今は二人で暮らしていて、絹子は夕方から家庭教師の仕事をしています。僕は受験に失敗して浪人中だったりして、母さんは僕の家庭教師もしてくれるんですが、もよおしてくると、ついついベッドに押し倒してしまいます。こんなことだから受験にも失敗しちゃったんでしょうけど。絹子も母親というか家庭教師の威厳を保っているのは最初だけです。

絹子という名前のとおり、母さんの肌は真っ白です。色素が薄いのか乳輪と割れ目も桜色です。四十二歳なのに若々しく、三十代前半でも通用すると思います。離婚する前に住んでいた家の近所では評判の美人でした。高校生だった奴らが母さんを襲ったのもわからないわけでもないというか、そういう問題ではないのですが、おかげ様で今の僕たちの生活があるのは間違いないです。人生塞翁が馬と言えるのも僕たちが立ち直っている証拠でもあります。