2019年9月24日火曜日

唯一最高のパートナー

僕と絹子の関係は特別で格別です。親子であり、僕としては籍を入れることが出来ないだけでほとんど夫婦だと思っています。絹子は僕に普通の恋愛をして結婚して欲しいそうですが、僕にその気はまったくありません。

繋がっていると、絹子も僕は格別だと言います。絹子は父さんを含め男性経験もそれなりにあります。今までの男とは根本的に違うそうです。こんなに満たされることはなかったと。実の親子だからだというのが僕たちの結論です。

十八年も結婚していたのに父さんは母さんと離婚しました。離婚する夫婦なんて珍しいことではありません。夫婦といっても、もともとは赤の他人です。僕と絹子は何があっても親子の縁が切れることはありません。一線を超えてしまった僕たちは禁断の道を歩んでるかわりに、普通の夫婦よりも深く繋がっています。身体も心もです。

絹子は僕たちの関係を後ろめたく思っています。子育てを間違えたとまで言います。僕は何も恥ずかしがることはないと思っています。今の暮らしが最高に幸せです。絹子には僕の子を産んで欲しいです。ほとんどすべて受け入れてくれるのに、親子だから産めないという絹子にはもどかしさを感じるし、喧嘩のもとになっています。

2019年9月23日月曜日

母子相姦に対する嫌悪感

母子で肉体関係をもつことに嫌悪感を抱いている人も多いと思います。ほとんどの人が結論ありきの常識にとらわれ過ぎていると思うのです。

古代から母子婚は多々ありました。日本では江戸時代まで、元服した息子に母親が性の手ほどき(性交までを含む)をするのは普通のことでした。当時と現代の価値観が違うだけです。

現代の日本では母子婚は認められていません。しかし、母子で肉体関係をもつことは禁忌視されているだけで許されています。僕たちのような母子は僕のように発信していないだけでそれなりにいるはずです。

それぞれの家庭で事情は違います。僕の家では母さんが女性としてもとても魅力的でした。 父さんとも離婚しています。確かに今のような生活は僕も堕落していると思います。僕も働いて普通の夫婦と同じように絹子と添い遂げる人生ならそんなにおかしいものとも思えません。

2019年9月16日月曜日

生ハメ母子

僕はコンドームをつけてセックスをしたことが数えるほどしかありません。母さんと関係を持つようになってから、母さんはすぐにピルを飲むようになりました。僕だけでなく、僕をいじめていた五人とも同時に関係を持っていました。母さんが初めて奴らに犯され輪姦されているときも避妊なんてしてませんでした。母さんのほうで避妊しないと誰かの子を身籠ることになっていたのは間違いないと思います。

そのころは母さんはまだ父さんと離婚してませんでした。前の家で僕は父さんの目を盗んで母さんを求めていました。そのころもいつも避妊具はつけずに僕が生まれた場所で出していました。僕や奴らとはしているのに母さんは父さんを拒否していたそうです。

奴ら五人とはほとんど一対一で会ってたそうですが、五人に僕もいれば母さんの休みはほとんどなかったと思います。それ以来、僕はいじめられることもなくなりました。同世代にはない色気と身体だといってみんな僕の母さんを気に入っていました。そんなこともあって、今は僕だけの女ですが、四十二歳になった今でも母さんは魅力的です。僕の子供を産んで欲しいです。

2019年7月26日金曜日

人生塞翁が馬

今の絹子は僕だけの女です。絹子の身体に奴ら五人が夢中になったのも解る気がします。こんなことを書けるのも僕たちが立ち直ってるからです。当時の僕は今日も母さんが誰かに呼び出されて犯されていると思ったら悔しくて悲しくてたまらなかったものです。今は僕だけの女です。

今の絹子の綺麗な女体に奴ら五人が抱いた痕はありません。18年の結婚生活を共にした父さんの痕もです。僕以外の男に抱かれた母さんは今の絹子にありません。繋がったまま一緒に絶頂に達しているとなんでか不思議に思うことがあります。

人生塞翁が馬で考えると、今の僕は最高に幸せです。母さんが美しすぎるから奴らに輪姦されたわけで、そのおかげで僕も母さんと肉体関係を持つことになったわけで、そのせいで両親が離婚したわけで、そのおかげで絹子と二人きりの生活がおくれているわけで。ただ、一線を超えてしまった僕たちの前途がどうなるのかは今でもまったくわかりません。

2019年7月3日水曜日

事件の清算とその後

Aたち五人が学校で人気があったTさんとその母親を暴行したことで警察に捕まることになり、それまでの間、奴らのいいなりになっていた母さんもレイプされたことを警察に話すことになりました。母さんがもっとはやく決断していたら、Tさん親子が犠牲になることもなかったはずです。でも母さんを責めることは出来ません。僕もAたちに誘われてました。冗談だと思っていたのですが、ずっと酷い虐めにあってた僕が、奴らの誘いを断れたのも母さんのおかげです。その頃の僕は虐められることもなくなってました。

母さんと奴ら五人が関係を持っていたのは三か月ほどです。僕たちの間でその三か月の話はずっと暗黙のもとタブーになっていたのですが、少し前、母さんが話してくれたことがあります。僕が思っていたほど乱暴的なものじゃなくて、ほとんどが一対一でたまに2~3人集まることがあったそうです。奴ら以外の男が来たことはないそうで、五人以外に母さんの秘密がばれたということも聞いていません。きっと母さんが上手く接してくれていたのだと思います。

母さんも問題になり、結局、父さんと母さんは離婚することになりました。僕は母さんと暮らすことになり、それまでは父さんの目を盗んで母さんを求めていたのですが、羽目を外したように朝から・・・という生活が今でも続いていたりします。

2019年7月1日月曜日

僕と絹子のきっかけ

僕が帰ってくるのをAたちは待っていたようでした。僕はAたちに見つかると父さんと母さんの寝室に連れていかれました。ベッドの上で股を開いている母さんにAが腰を打ち付けていてBが母さんの口に突っ込んでいました。母さんは僕に気が付くと必死に抵抗しましたが、最初だけでした。Aが僕に見せつけるように母さんを抱くと、母さんは恥じらいながらも女の反応をしてあえぎ声をあげていました。女の身体の構造は当時の僕にはよくわかっていませんでした。とにかくショックでした。

母さんが示す女の反応にみんな夢中になってました。大人の母さんを征服していい気になっていたのだと思います。僕がいるというのに母さんも言われるがままに奴らの上で尻を打ち振るったりしていました。

母さんはいいように身体を使われて五人の欲望を受け止めていました。避妊なんてしていません。みんな僕の弟か妹が出来るとか、俺が作るといって僕たち親子を馬鹿にしました。延々と僕は奴らと母さんの性行為を見せつけられていました。それなのに僕は嫌というほどに男として反応していました。

奴らに輪姦されたことを母さんは父さんにも言わず、しばらくの間、警察にも行きませんでした。母さんが奴ら五人にとって都合のいい女になっていたのは3か月ほどです。母さんが専業主婦だったのをいいことに奴らは母さんを自分たちの家に呼び出してました。奴らだけじゃありません。僕も父さんの目を盗んで母さんの身体を求めていました。母さんは嫌々ながらも僕の欲望も受け止めてくれていました。

2019年6月29日土曜日

母暴行事件

奴らが僕たちの人生を変えたのは間違いありません。奴らというのは三年前に母さんを輪姦した五人です。母さんがお風呂に入ったときに奴らを家に入れたのは僕です。あの頃の僕は奴らに虐められ、精神的にもかなり追い詰められていました。それに奴らも僕と同じ高校生です。あんなことになるとは思ってませんでしたし、あんなことがなければ、母さんは離婚もしなかったし、僕たちは普通の親子だったと思います。ただ、今の僕たちの生活が不幸だと思っているわけではありません。こうしてブログをしているのも悪夢を乗り越え、絹子と二人きりの今の生活がとても幸せだからです。

五人が浴室に向かい、母さんの悲鳴がすると、僕はいてもたってもいられなくなって家を飛び出しました。日付が変わろうという頃になって、もう帰っているだろうと思い帰宅すると、父さんが出張でいないのをいいことに奴らはまだ母さんと性交を続けていました。 僕は大人の母さんが五人を拒絶して説得するだろうし、絶対にそうなってると思っていました。

 母さんは近所でも評判の美人でしたが、それまで母さんのことを女として意識したことなどありませんでした。小さいころから母さんと買い物に行くと、八百屋や肉屋のおじさんおばさんから綺麗とよく言われていて自慢の母さんでした。父さんが出張でいなかったあの日、母さんが五人に次々と犯されて、言われるがままに腰を振って、あえいでいる姿を見せつけられて、僕も男として反応していました。母さんのことを僕が女として見るようになったのはその時からでした。